重要文化財

寛永寺 旧本坊表門(黒門)

かんえいじ きゅうほんぼうおもてもん

所在地:東京都台東区上野公園14-5

工事名称:寛永寺 旧本坊表門(黒門)保存修理工事

工期:2011年3月22日~2012年11月10日

漆塗 錺金具

「寛永寺」の旧本坊表門(黒門)は上野駅公園口より北東約300mに位置する切妻造(きりづまづくり)、本瓦葺(ほんかわらぶき)、三間薬医門(さんけんやくいもん)です。薬医門とは棟が門の中心線上より前方にずれ、本柱上に冠木(かぶき)を載せ、控え柱と男梁(おばり)で結び、その上に切妻屋根を載せた門のことを言います。

寛永寺の本坊は1625年(寛永2年)に建立され、旧本坊表門(黒門)も同時期に建てられたと考えられています。1868年(明治元年)の上野戦争(戊辰戦争)で本坊はことごとく焼失し、表門のみ焼失を免れました。門には官軍の砲撃による、直径約1.5㎝の鉄砲の弾痕や直径約10㎝の砲丸の穴と言われるものが残っています。

1882年(明治15年)に本坊の跡地にジョサイア・コンドル設計の博物館(現・東京国立博物館)が開館し、旧本坊表門は博物館正門として使われました。その後、関東大震災により大きな被害を受けた博物館の建替えに伴い1937年(昭和12年)、両大師正面(現在の位置)に移築され、戦後1946年(昭和21年)に旧国宝に指定されました。

1989年(平成元年)、両大師は不審火により大部分が焼失し、1993年(平成5年)にその跡地に輪王殿が建設され、旧本坊表門(黒門)も墨による化粧直しが行われています(弊社にて施工)。

今回の工事では、調査に基づき、門全体の黒漆と菊花紋・菊飾の弁柄(べんがら)漆の塗り替えを行いました。錺金具については、取り外した錺金具の下から出てきた旧錺金具の跡や、木部に残る欠失した金具の痕跡により、新規金具の製作や既存金具の補修を行い、 焼漆仕上げを施しています。

また、建てられてから約390年という年月で木地の風化も進んでおり、下地作業にも多くの時間を費やし、ほぼ創建当初の姿に復原されましたが、扉に残る鉄砲や大砲の弾の跡は明治時代のものです。これは、明治維新や関東大震災、空襲という激動の時代を潜り抜けた黒門の歴史です。ただ漆で仕上げ、綺麗にするのではなく、弾の跡の風合いが極力損なわれないよう生漆固めという手法を施しています。

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